他人とは違うって思い込むのはやめろ

どうしようもなく不安になってしまう時がある。実はない。かまって欲しいだけかもしれない。

妄想が現実に感じるし、現実が嘘のように思えてしまう瞬間がある。

結局それぞれのネガティブは瞬間の出来事でそれらが自分に影響を与えているのかは分からない。

けれど自分が最も好きな言葉の一つである「トカトントン」をそういう時に思い出すことにしている。

感情の上振れ下振れをゼロに戻してくれるような、どんだけの情熱を、どん底の絶望をなかったことにしてくれる気がする。「トカトントン」の主人公は様々な感情が無かったことになることに悩んでいたけど、自分にとっては、子供の様に自分で自分の感情をコントロールするのが下手くそな自分にとってはそういう風に生きれたらな、と憧れてしまうのだった。

怪我させてくるような人間は逆に怪我させたとしても許される可能性があるけど、たまたま体が日本刀だった人にぶつかりそうになった時に身を守るために蹴り飛ばしたとして、きっと悪いのは自分なんだろう。

あえて他人を傷付ける人間なんかそうそういないからこそどうしようも無いことってある。まともな感性を持っていれば傷付けるつもりが無いのも分かるし、他人のした事をいちいち気にするのもしょうがないってことに気づけるとは思うんだけど、それが出来ない人がいたり、そんな簡単に納得出来ない場合があることも事実なんだろう。

そんな簡単なことに気づけない人と上手く付き合っていかなきゃいけないんだろう。そんな時に、納得ができない時に、自分の中で折り合いを付けられない時に心の内で「トカトントン」と例の音が鳴って全部どうでも良くしてくれたら楽なんだけどな。

もうひとつ好きな言葉があって、それは「楽観は意志、悲観は気分」という言葉なんだけれど、要するに人間はほっといたら悲観的になってしまう生き物だから、自分からポジティブになる努力をしない限り気分は落ち込む一方ってことらしい。

そりゃそうだ。何となく不安になるのも結局自分で自分を励ます努力をしていないからで、なんの行動も起こしていない自分が、もっといえばポジティブになろうとする心持ちすら持っていない限り一生ポジティブになれる訳が無い。時間が解決するわけが無い。時間が何とかしてくれるのは感情の上振れ下振れだけで、感情の本来の位置を変えてくれるわけじゃないんだろう。

そういう訳なんで明日から自分のことを孫悟空だと思って生きることにします。どうも!世界最強の男です!よろしくお願いします!必ず太陽ぶっ壊して俺が代わりにみんなを照らしてやるからな!!