俺たちのクリスマスを盛り上げろ2020

皆さんおはようございます。12月26日の朝8時です。僕は元気です。けど何となく不安です。理由は知りません。冬休みに入って急に暇になったからでしょうか。今まで忙しくて先のことなんて考えもしなかったけど、今となっては明日の予定もなく、ひっそりの死ぬような気持ちで今を生きています。先のことなんて考えるだけ無駄なのかもしれませんが、考えずにはいられないでしょう。

先のことといえば、もう20歳になるというのに大人の自分を想像できません。これから大人に数えられるのに実感がわかないんです。ぼやっと、うっすら、なんにもしないまま長い時間を過ごす未来はハッキリと想像出来るのに、僕がかつて描いた大人像が今ではどんなものであったか思い出せません。小学生にとっては大人というのは絶対的で抗うのも無駄な相手ですが、今となっては対等になってしまいました。本当は対等ではないであろうのに20歳になった途端、対等に扱われるのですから、20歳になった瞬間が実は1番辛い時期なのかもしれません。

だからといって20歳になることを拒めませんから、なんにもしないことでダメージをなるべく減らす努力を無意識にしようとしているのかもしれません。

それはきっと自らの努力不足が原因なのに、さらに努力を怠り、怠った努力をひた隠しにする努力だけはするのですから滑稽でしょう。

人間は正しくあるべきですが、正論とは正しいとされる者たちにとって都合のいい論なんでしょうね。自分について言い訳を考える時、その反対側にいる世界が自分を排除するために必要な論でもあるでしょう。自分が正しくないから排除されるのではなく、正しい人とって都合が悪いから排除されるのでしょうね。

僕は自分のことをまだ子供だと思っていますが、これは単なる思い込みで本当は大人なんだろうか。

ずっと子供のように我儘を言って好きなことだけをして生きようとして、挫折して、年老いて、ベッドの上でもう喉を鳴らすことすら出来なくなったその瞬間に、どうしようもなくまだ死にたくないと叫びたくなってしまうような気がしてなりません。

 

どんな人生を歩むかなんてそれこそ、その時になってみないと分からないのは当然のことですが、考えずにはいられないのです。

けれど考えれば考えるほど答えが出ないので一切具体性のない不安だけを感じるのでしょうね。

それとも今が年末だから不安になるのでしょうか。今年は色々なことがあったので、それによって様々な体験を失ったわけですが、そのことを後悔しているんじゃないのか。

結局これでは何も変わらないでしょう。明日をより良くする努力ではなく、自分の日記をインクで塗りつぶすようなことしかしないし、そのくせそのことを忘れる努力は怠らないのだから、何となく見捨てられてもしょうがない様な気持ちになります。

まぁ僕は僕の周りにいる人間を信頼しているので、何があっても見捨てられるなんてことは無いでしょうが。

それはさておき、どうぞ自分の責任で見捨てられてください、あなたの不都合はあなたの努力不足です、どうか正しき人達の邪魔をせず音も立てずに消えてください、と言われているような気分になるわけです。

このような気持ちはきっと鬱ではありません。

全ては焦燥感でしょう。何となく自分が遅れている気がするだけです。本当は、世界は自分に対して驚くほど甘くできているのにこんなことを考えてしまうのは、僕が幸福だからでしょう。僕がどれだけ幸福か思い知らされます。

明日はいい日になるかな、と考えるより先に寝た方が健康にいい。生活リズムはメンタルの直結すると実体験から学んだのに、いまちょうど12時間ズレたような生活をしているのは何故でしょうか。努力不足だからでしょう。自分に甘い我儘な子供だからでしょう。

せめて明日は天気でだけでも良くあってくれ。