頓珍漢な男
もし自分を売り物に出来たら、己の体やセンス、頭脳ではなく、自分の「満ち足りた状態」を誰かに売ることが出来たら、とちょっとだけ考えました。
僕は相当運のいい男で、幸福にも今僕は満ち足りてると認めざるを得ないというか常に幸せを感じながら生きています。
でも世の中には辛くて辛くてしょうがなくて駅のホームから落ちてみたり、手首で刃を研ごうとしてしまったり、首を引き伸ばしてみようとした人が後を絶たないのはなんでだろう。
僕には想像力が足りていないことなんて知っているので、彼らにはきっとなんかあったんだろう。何かは知らないけど。
そんな可哀想な人達に僕の幸せを分けてやりたい。でも僕の幸福は可哀想な人間を前提に成り立っている可能性が高いので、彼らが幸せになってしまっては困る。でも可哀想。まぁ僕じゃないからいいか。
話は変わりますが、最近気づいたことがあります。
ちょっと前まで僕は『余計なことをしない方が幸せになれる』と思ってたんですけれど、実はそうでもなかったらしいです。余計なことをしまくってた頃に比べたら確かに多少幸せになれたかもしれないけど、なんかつまらないな、みたいな。
というかちょっと前までは疲れてただけかもしれない。そして今頃になって回復してきたのかもしれない。
だいたい、僕は必要なことだけやっとくような献身的な人間じゃない。「僕の幸せはみんなが幸せでいることだよ」みたいなナヨナヨしたこと言うタイプの人間と真逆だ。
みんなが楽しくても自分が楽しくなかったらくそほどムカつくし、自分が楽しかったら7割は満足できる。
と、思って必要なことをやらずに余計なことばっかしてったら今とても困っています。何をどうしてもテストに間に合いません。
まぁいいか。楽しかったし。