日々を削る

僕は路上ライブが嫌いだ。

一人で歩いている時僕は基本的にイヤホンで曲を聴きながら歩いているが、こっちはこっちで好きな曲を選んで聞いているのに、大音量で知らん人間の歌を聞かされるのは、僕にとっては自分の世界に割り込まれているようで、相手の勝手な自己主張に無理やり付き合わされているようで嫌な気分になってしまう。路上ライブをしている者にとってはそれこそが狙いで、自己主張に他人を無理やり巻き込むことで少しでも注目を浴びようという考えなのだろう。

もっと言うと僕は路上ライブを見てしまう人間も嫌いだ。

他人の自己主張にまんまと巻き込まれ、自分を失った人間に思えてしょうがない気がする。

別に路上ライブが凄かったら、観ている人の心を奪うほど素晴らしいものだったら許せるかというと自分の中で答えが出ていない。

そもそも心を奪われるなと思ってしまうが、全く心が奪われない人ってそれはそれで人間としてどうなのと考えたり。

実は今日、吐くほど飲んでしまった。口では「こんな日があってもいい」と強がってはいるものの、実際のところ他人に無様な姿を見せてしまったのは不本意の極みであり、「やってしまった感」の方が強いのが事実である。帰る時には既に回復してはいたが、僕が帰る前に吐いた時に先に帰ってしまった友人たちには「白状だな」と思いつつ正しい選択であったと考えているあたり、自分の中で考えが纏まっていない証拠である。そんな中で1人残ってくれた友人には感謝しかないが、実際のところ自分一人で残った方が無様な姿を少しでも他人から隠せて良かったと思ってしまう。

既にわかっていると思うが泥酔状態で記した文には価値などなく、恥の上塗りに違いないが、それでも、この状態の自分を残しておくことには意味があると思う。

既にイヤホンから流れている曲の歌詞の意味などわからないが、自分がどういう状態であったか残しておくことは十分に価値があり、後に見返して自己嫌悪に陥ることにすらきっと意味がある。

 

そして自分の本性を知ることにだけきっと意味がある。