laughters above

家出る前にめんどくせぇ〜〜〜〜って思ってた自分を帰る時には完全に忘れてるのってなんか自分に対して不誠実じゃないか。

そりゃまぁ帰る時にはもちろんめんどくせぇ〜〜〜〜ことを終えてこれからゆっくりするぞという気持ちでいる訳だからめんどくせぇ〜〜〜〜って思ってるわけないんだけど。

でも、家を出る前に確実に存在しためんどくせぇ〜〜〜〜と思ってる自分を完璧に忘れている自分ともしも、仮に、対面したのならめんどくせぇ〜〜〜〜とおもってる自分が不機嫌になることは間違いない気はする。

なんて適当なやつなんだ!一貫性のない男め!というように気分がコロコロ変わる人間として当然の心の動きを糾弾してしまうような気がする。

でも、自分の心に一貫性を保つことが出来たらどれだけ楽なことか考えるまでもないと思う。

もし仮にそれがネガティブな思考であったとしても、自分の心が常に平均値をたたきだせるのならそれはそれで素晴らしい人生になるんじゃないかとか考えてしまう。

むしろコロコロ気分が変わる自分に対して、どうせ不機嫌になったのならもうちょっと不機嫌になっておけよ、とか、お前の心はサイコロの目で決まってんのか、と言いたい。そんな運任せな心を持っているのは誰しもそうなのだけれど。

論理的な話とは違って、心がコロコロ変わるでも、一貫性を持っているでもどっちが良くてどっちが悪いという話ではなく、むしろ成分として心がポジティブな面とネガティブな面を同時に持ち合わせているからこそある時は意思を強く持ち続けたり、ある時は気持ちを切り替えることが出来たりするのだけど、そういうことを意識的にするということに負い目を感じてしまうというか、ネガティブな自分から目を逸らし続けている気がして、生き方としては間違ってないんだろうけど、ネガティブに意識的になっておかないとなんだか勿体ない気がして、というのは、ネガティブな時にしか思いつかないというものもあるので、そういう部分も含めて慣れておかないとほんとに鬱になった時に立ち直れない気もするし。まぁネガティブになり得だと考えているのでやっぱり僕は一生ポジティブなのかもしれない。