今日こそ明日を終わらせよう。

最も楽でいられる方法は被害者面をすることと考えがちだけど、実際のところ本当に楽なのは加害者面で罪悪感を覚え続けることなんだろう。被害者面で怒りや憎しみを覚えるよりも、「あの人に酷いことをした」「あの人に迷惑をかけた」「自分なんか居なければ不愉快な気分にさせることなんかなかった」なんて考えているほうが遥かに楽なんだろう。

ただ、自分を知ってもらおうと、自分に興味を持ってもらおうと努力した結果、しょうもな〜って思うなら、いろんな自分を見せたかっただけなのに結局何となく人から好かれるだけの人になるなら、二度と自分を知ってもらおうとなんてせずにひたすらコンテンツとしての自分を作り上げるしかないのか。(追記:要するに素の自分に対して興味を持つ人間がどれだけいるんだって話。この3年間で愛想ばかりを振りまいて最後の最後でバカバカしくなったってこと。)

きっとそうなんだろう。世の中の人間はよほど親密にならない限りほとんどコンテンツみたいなもんだろう。無料で買える小説や漫画みたいな物語の端くれみたいなもんだろう。

きっと自分の場合は自己顕示欲の暴走だ。頑張れば頑張るほど空回りする蟻地獄のような人生を送るんだろう。みんなのために、自分以外の人間のために、誰か一個人にフォーカスしない大衆向けの人間であり続けるんだろう。

きっとみんなから愛される。でも自分が本当に誰かのために頑張りたいと思ったところでその人のために頑張れる機会はないんだろう。興味関心を寄せられてみんなのものであり続けるのかもしれない。あんまり自惚れると後で恥ずかしくなるぞ。自惚れついでに、他人にとっての無料で読める面白い漫画のような人生を送るんだろう。自惚れ続けて100年後本当に何も無い人間になってしまうのかもしれない。ネガティブな人間を好きな人間なんか誰もいない。話を聞いて欲しいだけなのに、話を聞いてほしそうな感じを出すのに、実際聞いて欲しいことなんかなくて、ただのかまってちゃんが露呈して浅い人間だと思われ続けるんだろう。ひたすら自我を消して周りから好かれる人間になれる機会があるとしたら迷わず選びとるだろう。

自分が人間であり続ける限り、この苦しみからは逃れることが出来ないんだろうな。一生抱え込んで生きるしかないんだろうな。辛い気持ちが全て自分にとって薬だったなら良かったのにな。嫌なこと全部が自分にとって良い方向に変化をもたらす何かだったらいいのにな。嫌な事は嫌な事でしかなくてこの虚しさ悔しさ惨めさを埋める何かを手にすることは出来ないんだうな。強く心を持った人間だけが嫌な気持ちに対抗する術を手に入れて、そうできない人間はひたすら地獄でもがくしかないんだろうな。

いっその事誰も自分のことに興味がわかない世界で生きてみたい。どれだけ叫んでも、どれだけ暴れても、奇声や奇行で注目を浴びようとしたところでなんの意味の無い世界で生きることが出来たなら楽ではあるんだろうな。それこそひたすら簡単に加害者面で生きることができるんだろうな。