うわの空、空より上に

何もかもを忘れたくなる日ぐらい誰だってある。忘れたところでどうにもならないことは誰でも知っている。知らない人もいるかもしれない。どっちでもいいが。

曖昧な生き方で死ぬまで過ごしたい。最後の最後で目が覚めて適当に生きたツケを払いたい。逆にいえば死ぬ直前まで曖昧でいることに対して自信を持って生きていたい。

人に囲まれて死ぬ事が出来るとは思っている。自分は人に好かれる人間だから。自分のことを嫌いな人間なんてほとんどこの世に居ないんだから。

でも、もし仮に死んでから自分に一日だけ猶予が与えられたとしたら、手も足も動かせず、声も出せず、ひたすら考えることだけできる時間が作れたら、誰かに「助けて」とか「辛い」だとか、もっと言えば「死にたくない」とかそういう気持ちを誰かに伝えることが出来ない無念の中でゆっくり昼寝のような感覚で死ぬ事が出来たらある意味幸せだろう。

自分は人に助けを求めるのがとても下手くそな人間で、もっといえばそういう言葉が必要になった時には既に辛いことから逃げている。自分の悪い所で良い所だ。

多分一生「これだけは譲れない」という感情からは疎遠なんだろうな。負けず嫌いと競合しないと思う。なんでも捨てることが出来る気がするし、なんでも拾える気がする。

そういうリサイクルショップみたいな生き方をするんだろうな。信念がない分誰にも負けることがないんだろうな。

でも、適当に生きた結果最後に人に囲まれるのならそれ以上に幸せなことってないのかもしれない。