あいつ今から空気ね

世の中知らんことばかりというか知らなくてもいいことばかりって言うか知る由もないことばかりで何とか生きていけるっていうか目の前の車のナンバーが6のゾロ目でなんで公民館に入っていったかとか何故電車で見かけた3人組が全員同じような靴を履いてるのかとかバイト先が労働基準法違反をしていて告発したら家族が路頭に迷ってしまって物事を正そうとしただけなのにむしろ誰かに恨まれる結果に終わって必死に逃げていたところ名前も知らない人に助けられ九死に一生を得たところ頼まれ事をされてしまいどうにも断りきれなくて恩人の知り合いの行方を追うことになりその道中で説明不可能な超自然的な出来事に遭遇しいま自分が生きてる世界に疑問を感じてしまい目に見えるものが信じられなくなって正気を失いかけていたところ例の探していた人に出会い自分が全く知らなかった世界の理を教えてもらうことになり世界を見る目が180度変わってしまったとしても生きていけるっていうか社会のシステムの全てを説明できる訳じゃないしそれでも何となく生きてるんだからもはやこの世は一部の人間を除いて空気と同じなんじゃないか。

生きるために必要だけど実際のところ自分からしたらただそこにあるだけのものが大半を占めてしまう。身の回りにたまたま高い頻度で存在するものに名前をつけたり自分にとっての役割を与えたりして何とか身の回りだけでも曖昧で輪郭すら掴めないほど、存在を疑いすらするものをハッキリと認識しようとしてるのかもしれない。僕は中学生の頃親に買ってもらったお気に入りのマウンテンバイクを冗談で「チャリー」なんて呼んで友達に紹介していたけど、今考えてみれば普段自分が無意識的にやっていることの延長線上にある行動だったのかもしれない。

世界の情報量に比して自分が知りうる情報量は驚くべきほどに少なく目に映ったものの何割を自分は説明できるのかと言われると1割にも満たないと思う。だからこそ夢を見る人がいたり陰謀論を唱える人がいるんだろうな。大抵の人間は知らんぷりするけどそのことを良い意味でも悪い意味でも生きる糧にしたりできる人間でいたいな。そんな中で名前を知ってる人が周りにいることは割と幸せなことなんだろうな。