六等星の戯言、または、独り言

おはようございます。

早朝一人で帰る時、大事なものが消えていくような喪失感を何に代えて埋めれば良いのか。

息を止めて苦しくなって初めて生きている実感を得るように、星の王子さま曰く「大事なものは目に見えない」と言ったように、喪失感もまた何かを失った後に感じることは、考えてみれば当たり前なのだけれど、無意識には考えないことの1つでしょう。

無意識を自覚した時には既に無意識ではないように、気づいたら存在したことは確かなのだけどもはや跡形も無いものをどうやって取り戻すのか、または埋め合わせをするのか。

例え見渡す限りの快晴でこれ以上ないほどの清々しさを感じたとしても、それはある種、客観視した感想で、つまり、「あぁ、気分のいい時にこの空を見上げたのなら脈略無く嬉しくなってしまうのだろうな」といった斜に構えたようなことを考えてしまうのだからタチが悪い。

しかし、以前も同じ言葉を引用したけれど(もっと言えば誰が言ったのかも忘れていたけど)幸福論で有名なアランが「悲観は気分、楽観は意思」と言ったように、結局のところ悲観的な気分を自身で打ち倒してこそ楽観を得られるというわけで、「なーにやってんだ俺は」と言っているだけでは何も改善しないだろうな。むしろ自身の意思で自身を励ますことが必要なんだろうな。例え、トカトントン、と例の音が聞こえてきたとして、「まだ終わりじゃないぞ、こっからだぞ」と自らに囁ける者が体の末端に力を込めることの出来る者なんだろうな。そして、どんなに波のうねりがだるそうに見えても、船の広げる帆が汚らしく見えても、「そういうものだ、いずれ良くなる」と思おうとする努力をしなければならないんだろうな。本当に必要なのは喪失感に対する答えを用意しうる知識などではなく、むしろ、勇気を必要とする意思なのだろうな。

 

肩いってぇ〜